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- maco kobaAugust 14, 2014徳川家康が1582年の武田氏征討後、駿甲信を得て五カ国の太守となった。それまでの浜松城の次に本拠とした居城。1590年の小田原の役の後に関東に移封されるまで居た。しかし、再び天下を手中におさめた後に家督を息子の秀忠に譲ってからは隠居の城としてここで余生を過ごした。庭園は管理されていて水質がとても綺麗。Upvoted Feb 27
- Rue. SATOHAugust 12, 2022武田氏滅亡後に駿河を手に入れた家康が、新たな拠点として 1585 年から松平家忠に命じて築かせた城 (天正期駿府城)。家康が大御所として戻った 1606 年からは天下普請による大改修が行われ、三ノ丸を含めた現在の総石垣の環郭式の城 (慶長期駿府城)となった。建物は全て再建だが堀と石垣が良好に残る。特に石垣は規模が大きく、天守台発掘現場を含めて様々な積み方を見ることが出来て楽しい。