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- 敦盛五輪塔の建つ須磨一ノ谷は、源平合戦・一の谷合戦場として知られ、1184年(寿永3年)2月7日に、当時16歳の平敦盛が、熊谷次郎直実によって首を討たれ、それを供養するためにこの五輪塔を建立したという伝承からこの五輪塔は敦盛塚と呼ばれるようになりました。須磨寺には敦盛の首塚、平敦盛像、熊谷直実像など源平にまつわる史跡や資料が展示されています。
- 平安時代後期、平清盛が京都から福原(現在の兵庫区)に都を移すが、源氏に追われ須磨の一の谷の源平合戦で源義経に破れるなど、神戸は源平の物語の舞台となりました。神戸市内には源平合戦の舞台「須磨・一の谷」、「十三重の石塔・清盛塚」、「清盛像」、「平敦盛・熊谷直実の像のある須磨寺」など、源平ゆかりの史跡が約60カ所あります。
- 源平攻防の舞台となった須磨一ノ谷にある敦盛塚五輪塔は、高さ約4mで、京都・石清水八幡宮五輪塔に次いで日本で2番目の大きさの塔です。制作年代は 室町時代後期から桃山時代にかけてと推測されています。
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